自担と手とあれとそれ

手フェチのあれこれ

二十日鼠と人間

登場者全員が孤独を抱えてるのが伝わってくる舞台だった。

 

「人は誰しも互いのことを怖がっている」

スリムが言ったこの言葉が、核心だなぁと感じて、それを元に大阪も観たいなと思った。

スリムはみんなから頼られてるけど、スリム自身は一歩引いてるんだよなぁ。それがこの言葉が出てきた理由なのかな。

スリムも賢いけど、一歩引いて人にのめり込むことはしない、だからジョージも口を滑らせたりするんだろうな。

でもだからこそこの人結構残酷なんだよな…原作読んだ時はあまり感じなかったけど、酷な決断の決め手はこの人の言動だからな…。原作ももう一度読み返して深めたい。

 

 

ジョージも、最初はキャンディとかレニー以外を信用しようとしてなかったし、レニーに対してもきっと本気で1人の時が気楽で心が安らぐって思うことがあったと思う。

最初のシーンで、レニーが木を拾いに消えた時の柔らかな表情がきっとそれ。

 

でも、いざレニーが離れようとすると、「一緒にいたい」

そして、「慣れた状態から離れられなくなってしまう」

レニーを責めすぎた時、我に返った途端やってしまったと顔を覆うジョージが、1人でいることを望んでいないのを表していて好きだったなぁ。

 

「ジョージにはレニーがいて、レニーにはジョージがいる」

この関係が疎ましくも根幹で、2人でいるからこそ大きな夢を語れたのだと思う。

 

ただ、ジョージは頭がいいから、その夢は夢だとわかってたと思うんだよなぁ…レニーに聞かせる、絵本のような。ジョージにとっての夢は、もちろん農場を持てるなら持ちたいと思ってただろうけど、なによりも「レニーと2人で」ってところが肝だったんだと思う。

それがキャンディの出資で現実味を帯びて、一気に頭の中で可能か考えて。これでレニーを酷い目に合わせる心配もなくなるしな。

口元に手を当ててちゃんとぶつぶつ言ってたのが見えて興奮した(笑)

 

 

そのキャンディも、老犬を失って本当に1人になってしまったところにチャンスが巡ってきて生きる気力を取り戻した。

この場面が全部最後のためだって思うとやるせないけど…ただカールソンはカールソンで本気で「ただ生かされてるだけの状態」を善とはしてなかったんだろうな。キャンディが老犬を生かしてるのは情もあるけど、キャンディが1人になりたくなかったからっていうのもあるだろうから、そのエゴに生かされるのはってことなのかな。

なにを善とするのかって人それぞれだから、あれが悪に見える人もいれば、スリムのように割り切る人もいれば、色々な捉え方があそこには詰まっていてどれが正解かなんてことはない部分。ホイットは犬がどうとかより、どの部分でも楽しいか楽しくないかに重きを置いてた気がするし。

人間の面倒で面白い部分を照らし出してて、誰に感情を寄せるかで見る度違う印象をもてる。

 

クルックスも話に乗ろうとしたけど、あの人は全てに対して諦めが大きいから、「ほぉら」で済ませたよな。あの時代を表してるある種のキーマン。そしてここは夢に陰りが差す「石ころ」が置かれた場面でもあるのかな。

 

カーリーの奥さんも夢を語ってたけど、夢をもった人は全員、報われることはなかったんだよなぁ。

 

 

カーリーの奥さんが死んでるのを見た時、ジョージは一瞬で全てを失うことを理解したけど、理解を受け入れられなくて。

キャンディから2人でやれないかと言われた時も、あの夢物語はジョージとレニーが主役だったから、首を縦には降らなくて、

キャンディの老犬のことがあったから、「他人に任せちゃいけなかったなぁ」って言ったのを覚えていたから、レニーを誰かに殺させてはいけない。

レニーがいなくなる=夢を手放す

ジョージはあの一瞬で受け入れがたくも、大切なものを自分の手で終わらせる決断をしたんだと思うと涙が止まらなかった。

 

どこを狙えば苦しませずに済むかも聞いて覚えていたから、

「想像させてやるから向こうを向け。いいところだよ…」のところは、農場のことは指してないよね。そうやってレニーを苦しませずに、自分にも言い聞かせるように、引き金を引いた。賢いけど1人を望んでいないジョージはあのあとどう生きるんだろう。生きられるんだろうか。

 

 

ちょいちょい挟まれる笑いどころは、この間のごうちゃんの舞台とも似てるなぁ。

結末はどうだろうと、時代がいつだろうと、色んな人間がいたし色んな思いを抱えて生きていたということの表れなんだろうな。

 

 

初見は、最初のシーンでジョージが荒ぶってナイフ振り回したのが原作だと受けなかった印象だったので、いやいやいや癇癪すげぇ!wwwと思ったけど、同じ川辺である最後のシーンとの対比がわかりやすいよね。

同じ「一緒にいたいよ」が、全く違う言葉になる。

13日に観た時に最後のこのセリフがすごく震えてて、迫真で、あの瞬間はとてつもなくジョージだった。いやずっとジョージなんだけど、察してくれ←

 

 

つらつら述べたけどジョージとして観ているとはいえ、完全に顔が好きなので客席寄りに目の前に立たれた時のヒュッて感情をもってしまうのは許して欲しい←

子犬と目が合った時のなんとも言えない気持ちも←

 

 

大阪でさらに練り込まれた空気を味わえるのが楽しみ🐭大阪前にまた原作読み返そう。